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蘇我家の繁栄と滅亡 9.蘇我と中臣(後の藤原)の対立

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レインボー

中臣鎌足の興隆と蘇我家滅亡

蘇我家の繁栄と滅亡 9.蘇我と中臣(後の藤原)の対立
 
継体天皇(在位:507-531年)は、アイヌ系ですが、朝鮮半島由来のツングース系王家を滅ぼして新王家を始めました。そのとき、文字を使える文官はおらず、友好関係にあった百済から文官を採用しました。その文官が蘇我家の始まりになります。蘇我家は天皇家の支援を受け、最初の財務大臣となり、娘を天皇の妃に出し、政敵の物部を滅ぼし、繁栄してきました。

ここに、蘇我家独裁が始まりました。

そして、この独裁に異を唱えたのが614年に生まれた中臣(後の藤原)鎌足でした。中臣は、蘇我入鹿暗殺(乙巳の変、645年)の主役で、中臣は後の藤原家の祖先になりました。

関連し、今回は「蘇我と中臣の対立」について検討します。

まず、中臣鎌足のルーツですが、Web情報を見ても、確実な情報はありません。Y染色体ハプログループ分類によれば、その祖先は縄文時代から居たマレー系であることが分かっています。

拙ブログでは、マレー系には、縄文時代から居る縄文系の20%と水田稲作を持ってきた弥生系の10%が居ること、そして、縄文系は三内丸山遺跡で有名な海洋交易を担い、また、縄文時代後期には貝塚を作った主役であることを指摘してきました。

中臣鎌足の祖先が縄文時代から居たことから想像しますと、彼らは、同じ縄文由来のアイヌ系である継体天皇と友好関係にあり、得意な海洋交易の面で支えたのではないかと思われます。そして、海洋交易関係(海族)代表として豪族の1人になったのではないかと思われます。

蘇我と物部が争った丁未の乱(ていびのらん 587年)では、中臣家は中臣 御食子(なかとみ の みけこ)の時代で、中立で、どちら側にもつきませんでした。そして、中臣鎌足が614年に生まれ、ここから中臣家が始まる感じです。

中臣鎌足は蘇我入鹿とほぼ同期のようで、その付き合いのなかで蘇我家の横暴を知り、蘇我家を滅ぼす計画が生まれたようです。そして、天皇家では天皇中心の政治を理想とした中大兄皇子(後の天智天皇)と手を組み、蘇我入鹿暗殺の計画を進めました。

そして、645年に暗殺に成功すると、中臣鎌足は、中大兄皇子が天智天皇(在位:668年~671年)になったとき、藤原の名字を与えられ、これが藤原家の始まりになります。

なお、蘇我入鹿が皇極天皇の直前で切られたとき、「私が何の罪を犯したというのでございましょう」と叫んだと言われますが、その言葉のとおり、特段の罪は無かったのが真相と思われます
すなわち、蘇我入鹿暗殺理由については諸説ありますが、宮廷内一部の反蘇我家の憎しみをかったというのが真相と思われます。小田信長が本能寺の変で滅ぼされた事件と似ている感じがします。

そして、乙巳の変のもう一人の主役の天智天皇ですが、蘇我家滅亡には成功しましたが、賛同者は少なく、すぐには天皇になれませんでした。斉明天皇(もと皇極天皇)が崩御した後の661年、斉明天皇の皇太子であることから天皇第一候補でしたが、評判が悪く天皇になれなかったため天皇不在年が661年~668年まで8年間もできてしまいました。

そして、天智天皇崩御の後、王位争い(壬申の乱 672年)が起きました。この壬申の乱は、天智天皇の皇太子(後の弘文天皇、朝廷側)と天智天皇の弟である大海人皇子(後の天武天皇)の間、すなわち、朝廷側と反朝廷側の大きな戦いでした。

しかし、朝廷側につく豪族は僅かで、ほとんどの豪族は反朝廷側に付きました。特に、東海地域の豪族のほとんどが大海人皇子側に付き、勝敗は反朝廷側の勝利であっけなく決着してしまいました。

おそらく、これは、豪族の多くは蘇我時代に国造(後の国士)を認められた勢力だったため、蘇我家を滅ぼした天智天皇側を支持できない背景があったものと想像されます。

この結果、天智天皇の理想であった天皇中心の政治は、反天智天皇方だった天武天皇によって行われるようになったのは歴史の皮肉と思われます。

なお、本題の中臣(藤原)ですが、中臣家は藤原となりは朝廷方に属します。中臣鎌足の息子に、藤原家繁栄の基になった藤原不比等が居ましたが、幼少だったことから罰はなく生き延びることができたようです。著者の見方ですが、壬申の乱に勝った天武天皇は大人物で、藤原不比等を許したのだと思われます。

関連し、乙巳の変(645年)~壬申の乱までの天皇の経過を下表に示しました。


乙巳の変~壬申の乱時代の天皇
また、上トップに「中臣鎌足の興隆と蘇我家滅亡」の経過を示しました。

レインボー
Posted byレインボー

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motomasaong
テロリストを支持する者はいない

 中大兄皇子は血縁者であり親族でありながら蘇我入鹿を殺害しました。
 中大兄皇子は何の罪とがもないのに蘇我入鹿を殺害しました。
 蘇我氏は天皇を支え続けた功労者であったのの殺害されました。
 中大兄皇子は権力を狙うテロリストでした。
 当時の豪族からすれば、天皇家に功績があっても血縁でも殺害するような中大兄皇子を支持するのは嫌だったでしょう。
 人望がなかったのは当たり前です。
 大海人皇子に豪族が全面的に協力したのは、大友皇子も中大兄皇子のような横暴で権力を乱用する人間だったからでしょう。自分の子の帝王教育にも中大兄皇子は失敗したということになります。
 その点では、独裁者になりたかった薩長がクーデターで江戸幕府を潰したのとよく似ています。
 その延長線が現在の自民ですから、本質的には自民は独裁政党である事になります。
 

  • 2023/08/13 (Sun) 20:11
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レインボー
レインボー
Re: motomasaong様、テロリストを支持する者はいない

motomasaong様
いつもコメント、ありがとうございます。

ご指摘の「中大兄皇子は権力を狙うテロリストでした」ですが、まったくその通りです。
日本古代史では中大兄皇子が英雄のように言われておりますが、認識を変える必要があります。
草々

  • 2023/08/14 (Mon) 08:49
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  • 2023/08/17 (Thu) 23:53
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