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ツングース系王家の繁栄と滅亡 4.構造船建造と馬飼育の完成

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馬の埴輪(Wikipediaによる)

ツングース系王家の繁栄と滅亡 4.構造船建造と馬飼育の完成

朝鮮半島由来ツングース系民族は、鉄器を持ち、水田を開発し、豊かになり、人口が増大し、その中からツングース系王家が生まれ、その王家は出雲からヤマトに移動したことを検討してきました。

その後、王家はさらに巨大化しました。関連し、今回は、巨大な地域支配を可能にした馬の飼育と構造船の建造について検討します。

まず、馬ですが、日本では絶滅してしまったことが分かっていますので、当時の馬は朝鮮半島由来となります。

そして、巨大古墳が建造された河内(大阪)ですが、5世紀に馬の飼育場があったことが遺跡調査から分かっています。また、埴輪には馬形のものがありますが(上の図参照:Wikipedia)、これらが出てくるのは5世紀以降の古墳です。これらのことから推定しますと、馬の導入は4世紀、本格的使用は5世紀と推定されます。

この結果、ツングース系王家は、馬を使い、ヤマト周辺を移動し、古墳建造に必要な人員を確保したと思われます。当時、人々は馬を見たことがなく、かつ、乗馬した兵士は大きくたくましく見えたことと思われます。

因みにスペイン人のインカ帝国支配ですが、インカ帝国には馬が居なかったため、馬にまたがったスペイン人は大きく恐ろしく見えたため、インカの支配を少数でもできたことが知られています。日本の古代も同じく、馬は、戦いだけでなく人民支配の重要なひとつになっていたと思われます。

次に、構造船ですが、これなしに朝鮮半島からの馬の導入も不可能ですので、導入時期は同じく4世紀と推定されます。埴輪研究によれば、馬を乗せることのできる船形埴輪(準構造船)が出土するのは5世紀以降です。これらのことから総合しますと、準構造船利用は4世紀に始まり、5世紀に舟形埴輪ができたと理解されます。

すなわち、4世紀になると、馬も運ぶことができる構造船が作られるようになり、その結果、馬も日本へもたらされ、馬の飼育場も河内に作られるようになったと判断されます。

さらには、前回紹介の遺跡数ですが、古墳時代となると、それぞれの地域で弥生時代と同等の遺跡数が認められます。特に縄文遺跡の多かった中部地域も遺跡数が同等程度あります(下図参照)。

東海・北陸以西の古代遺跡数
関連し、古墳時代の遺跡数は前方後円墳など古墳数と関連していますので、それらの遺跡は朝鮮半島由来のツングース系民族由来の古墳が大半です。このことは、水田稲作が中山間地にも増え、ツングース系民族がアイヌ系の多い中山間地にも進出したことを示唆します。

古墳時代の地域別遺跡数を下図に示しました。

東海・北陸以西の古墳時代遺跡数

これらの結果、ツングース系王家の支配地は広くなり、その支配地は、当初の近畿、中国から、中部、北陸、四国、九州東部(大分・宮崎・鹿児島)までおよび、ツングース系民族が弥生時代に移住した西日本の全地域に及んだと判断されます。

まとめますと、陸部においては馬が、そして、九州と四国については船が重要であり、馬と船(構造船)の完成は、ツングース系王家の広大な地域の支配を可能にしました。

そして、王家はますます栄え、5世紀には世界最大と言われる大山古墳(仁徳天皇陵)建造の基礎ができたと判断されます。

関連し、下の写真は、著者がフイリピン・ミンダナオで働いたときにいただいた模型です。ミンダナオの古代の構造船ですが、解説によれば、これは遣唐使船のようです。当時の日本の構造船もこのようなものであったことが当時の埴輪から想像されます。

古代の構造船(ミンダナオの遣唐使船)



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Posted byレインボー

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motomasaong
ツングース系の軍事力

 埴輪の馬には既に鐙が搭載されていますね。古代ローマでも鐙はなかったことが知られていますから、あぶみの発明は画期的であり、埴輪にそれが搭載されていると言う事は、既に相当馬術が朝鮮半島などで進化していた証拠でしょう。
 馬を駆使する戦略は、歩兵しかない国家には恐怖その物であり、仮に追撃しようとしてもあっと言う間に逃げられてしまいます。
 今で言うなら核兵器を持った国とそうでない国のようなものであって、馬がいるだけでも脅威だったでしょう。無論、農耕馬としても利用出来ますから屯田兵などとしての活用可能です。
 アイヌが本来住んでいた中山間部にもツングースが侵入したわけですから、これはもはや平和的な民族混和ではありません。
 古墳文化とツングースの横暴に対して継体王は立ち上がりましたが、そうなるまでに既に、ツングースが徐々に侵略を繰り返していたのではないでしょうか? けれども圧倒的に強い騎馬軍団がありましたから、アイヌやマレーには抗う術がなかったのでしょう。

  • 2023/10/24 (Tue) 09:24
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レインボー
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Re: motomasaong 様、ツングース系の軍事力

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。


ご指摘の「埴輪の馬には既に鐙が搭載されていますね。古代ローマでも鐙はなかったことが知られていますから、あぶみの発明は画期的であり、埴輪にそれが搭載されていると言う事は、既に相当馬術が朝鮮半島などで進化していた証拠でしょう。」ですが、ご指摘の通りだと思われます。

「あぶみ」についてはいくつかの古墳でも発見されており、このことは馬術は支配者の重要な一つだったと思われます。

そして、この時代、民衆に嫌われたのが、次回報告予定ですが、古墳建造の労役だったと思われます。

  • 2023/10/24 (Tue) 11:24
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