ツングース系王家の繁栄と滅亡 4.構造船建造と馬飼育の完成

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埴輪の馬には既に鐙が搭載されていますね。古代ローマでも鐙はなかったことが知られていますから、あぶみの発明は画期的であり、埴輪にそれが搭載されていると言う事は、既に相当馬術が朝鮮半島などで進化していた証拠でしょう。
馬を駆使する戦略は、歩兵しかない国家には恐怖その物であり、仮に追撃しようとしてもあっと言う間に逃げられてしまいます。
今で言うなら核兵器を持った国とそうでない国のようなものであって、馬がいるだけでも脅威だったでしょう。無論、農耕馬としても利用出来ますから屯田兵などとしての活用可能です。
アイヌが本来住んでいた中山間部にもツングースが侵入したわけですから、これはもはや平和的な民族混和ではありません。
古墳文化とツングースの横暴に対して継体王は立ち上がりましたが、そうなるまでに既に、ツングースが徐々に侵略を繰り返していたのではないでしょうか? けれども圧倒的に強い騎馬軍団がありましたから、アイヌやマレーには抗う術がなかったのでしょう。
motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。
ご指摘の「埴輪の馬には既に鐙が搭載されていますね。古代ローマでも鐙はなかったことが知られていますから、あぶみの発明は画期的であり、埴輪にそれが搭載されていると言う事は、既に相当馬術が朝鮮半島などで進化していた証拠でしょう。」ですが、ご指摘の通りだと思われます。
「あぶみ」についてはいくつかの古墳でも発見されており、このことは馬術は支配者の重要な一つだったと思われます。
そして、この時代、民衆に嫌われたのが、次回報告予定ですが、古墳建造の労役だったと思われます。