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終わりに 日本書紀はなぜツングース系王家を無視

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レインボー

日本書記はツングース系王家を無視、歴史改竄

終わりに 日本書紀はなぜツングース系王家を無視

朝鮮半島由来ツングース系王家の繁栄と滅亡について9回に分けて報告しました。ヤマトに創られたツングース系王家は西日本に創られた最初の巨大な古代国家だったと思われます。

しかし、ツングース系王家については日本古代史では無視されています。最後に、このことについて検討します。

まず、日本古代史は、日本の正史と言われる日本書記を基本にしています。しかし、津田左右吉等の多くの研究者が指摘していますように、日本書記は現天皇家を偉大に見せるために創られた書であり、一部に史実が見え隠れしていますが内容は創作です。

一方、遺跡等による古代史研究も進んでいます。日本は、縄文時代(新石器時代)を経て弥生時代になり、弥生時代に高生産性の水田稲作が導入されました。そして、遺骨調査の結果、弥生時代は朝鮮半島由来の長身の民族が中心になって創られたことが明らかになっています。

そして、弥生時代の後に、小国家が創られ、それらがまとまり古墳時代となり、墳長200mを超える巨大な古墳も建造されるようになりました。このような巨大な古墳建造には100万人以上の動員があったことが試算されていますが、これから巨大な国家があったことが推測されています。そして、古墳時代を創ったの民族は朝鮮半島由来ツングース系であったことがほぼ定説になっています。

一方、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、朝鮮半島由来ツングース系が25%、その他10%であること、さらに、天皇家はアイヌ系であることが明らかになっています。

「天皇家はアイヌ系であること」、この事実は、その後、王家はアイヌ系に変わったことを如実に示しています。言い換えますと、天皇家は万世一系ではなく、ツングース系王家からアイヌ系王家に替わったことが冷厳な事実になります。

しかし、日本古代史関係の学会は、相変わらずで、この事実を公表しません。

そこで、日本書紀の「ツングース系王家の無視」という創作問題について検討しますと、次のとおりです。

日本書紀は「万世一系の偉大な天皇家」を目標に書かれています。このため、これに反することは無視するという手法が採られました。

例えば、現天皇家の前にツングース系王家があったとは「万世一系」の方針から書けません。このため、例えば、代わりにツングース系王家の古墳は現王家の古墳に変えて表現したという感じになります。

関連し、日本に北九州倭国があったことも無視されています。これも「万世一系」に反するため無視されました。さらには「邪馬台国」の存在も同じ理由から無視されています。

まとめますと、朝鮮半島由来ツングース系王家が現天皇家の前にあったことは事実であるが、天皇家は天照大神の子孫で万世一系という執筆方針があり、現天皇家の前にも別の国家があった事実については日本書記では書けないことであったこと、になります。

そして、最近のDNA研究は、「天皇家はアイヌ系」であること、さらには日本書記の「天皇家は万世一系」ということは創作であることを明らかにしました。

これらの関係を上トップ図に示しました。


レインボー
Posted byレインボー

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motomasaong
天皇は万世一系でも神の子孫でもない。

 日本では、ツングース系のアマテラス、スサノオ、大国主命などが神として崇拝されており、神社に祀られています。
 神はアイヌの「カムイ」由来ですから、神社同様、アイヌ系です。
 従って、古墳時代に抑圧と搾取と圧政があったとしても、それ以前にはアイヌも含め人々の支持を集め、神として崇拝されていたツングース系がいたはずです。
 おそらく継体王としては、神の末裔としての政権の正統性とカリスマ性は温存しておきたい、だが、ツングースの悪政は許せない。結果、不都合な歴史的事実は葬り去る事になったのでしょう。

  • 2023/12/04 (Mon) 16:22
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レインボー
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Re: motomasaong 様、天皇は万世一系でも神の子孫でもない。

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。

ご指摘の「おそらく継体王としては、神の末裔としての政権の正統性とカリスマ性は温存しておきたい、だが、ツングースの悪政は許せない。結果、不都合な歴史的事実は葬り去る事になったのでしょう。」ですが、

日本書記ができたの天武天皇が初めて日本を統一した後の奈良時代(8世紀)で、天皇家は偉大な万世一系という思想が生まれたのもこの時期です。おそらく、継体王の時代(6世紀)の王家はツングース系王家を滅ぼすことで精一杯で、豪族の集まりの集団で、特段の国を治める思想はなかった感じがします。

  • 2023/12/05 (Tue) 08:22
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  • 2023/12/05 (Tue) 09:38
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