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北九州倭国の繁栄と滅亡 3.倭の五王の実在

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レインボー

北九州倭国、ツングース系王家、現天皇家との関係

北九州倭国の繁栄と滅亡 3.倭の五王の実在

中国南朝の宋帝国の正史には、「倭の五王」が5世紀に官位を求めて朝貢したことが書かれています。そして、その朝貢の内容から、倭の五王は北九州倭国の王であることが明らかです、しかし、日本の古代史では、それらの王が記載されていないことから、それらの王は日本書紀における歴代天皇での誰かであることになっています。

関連し、今回は「倭の五王」の実在に迫ります。

まず、Wikipediaによれば次のとおりです。

倭の五王(わのごおう)は、中国南朝の宋帝国(劉宋)の正史『宋書』に登場する倭国の5代の王、讃・珍・済・興・武をいう[注 1]。5世紀初頭から末葉まで、およそ1世紀近くに渡り、晋、宋、斉などの南朝に遣使入貢し(遣宋使)、また梁からも官職を授与された。倭の五王が記紀=『古事記』(712年)と『日本書紀』(720年)における歴代天皇の誰に該当するかについては諸説ある(後述)。(引用終了)

また、「倭の五王」は北九州と朝鮮半島南部の支配を認めてもらうために官職を求めましたが、Wikipediaによれば、その経過は次のとおりです。(下表参照)

倭の五王、中国との関係

413年 倭王讃:東晋に朝献する。
421年 倭王讃:宋に朝献し、武帝から除授の詔をうける。おそらく「安東将軍倭国王」。
430年 倭王珍:宋に朝献し、文帝から「安東将軍倭国王」に任命される。
451年 倭王済:宋に朝献し、文帝から「安東大将軍」に任命される。
462年 倭王興:宋に朝献し、孝武帝から「安東将軍倭国王」に任命される。
479年 倭王武:南斉に 朝献し、高帝から「鎮東大将軍」(征東将軍)に任命される。
502年 倭王武:梁に朝貢し、武帝から「征東大将軍」に任命される。倭王武の時代に実現した

まとめますと、「倭の五王」は中国南朝(東晋、宋、南斉、梁)に朝貢し、讃は「安東将軍倭国王」、珍は「安東将軍倭国王」、済は「安東大将軍」、興は「安東将軍倭国王」、武は「征東大将軍」に任命されたことになります。

なかでも、倭王武は、北の高句麗の攻撃を受けている百済の窮状を南朝に訴え、百済と連合し、中国南朝の権威(官職)をもらい、高句麗と戦うことが目的だったことが、その朝貢文に覗えます。

また、北九州倭国が北朝ではなく南朝に朝貢した理由ですが、その時代、北朝は分裂時代であり、朝貢し頼れる大国は無かったこと、北九州は、歴史的に中国南部出身者(マレー系)が多く、関係しゃすかったことが挙げられます。後に紹介する装飾古墳壁画も、この時代、中国南部から日本に伝わったと言われます。

さらには、仏教やお経(万葉文字)も、この時代に伝わったことが知られています。この結果、漢字には北方読みと南方読みの2種類ありますが、日本に伝えられたのは南方読み(万葉文字の読み)になったことは先に紹介したとおりです。

なお、倭王武は、北九州倭国と百済の連合のために北九州倭国に派遣された百済の王子であり、後の百済の武寧王(502年即位)で、502年に継体王の即位祝いの鏡を送ったことが知られています。この方面は書籍「百済部寧王の世界 海洋大国 大百済」(下図参照)に詳しく紹介されています。

海洋大国大百済

最後に、このような重大なことが日本の正史と言われる日本書記に記載されて居なかった理由について検討しますと、次のとおりです。

まず、日本書紀の執筆の動機は、「万世一系の偉大な天皇家」を主題に描くことでした。このため、この方針に合わない内容は無視されました。

因みに、拙ブログで繰り返し指摘していますように、DNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果、現天皇家はアイヌ系です。そして、その始まりは継体王(在位:507-531年)であることが分かっています。

一方、それ以前には、日本は朝鮮半島由来ツングース系王家に支配されていました。しかし、この王家があったことは日本書記の「万世一系の偉大な天皇家」の内容に合わないことは明らかで、無視されています。同様に、北九州倭国の五王も無視されたことになります。

また、その倭の五王の時代は5世紀です。現天皇家は6世紀の継体王からですので、倭の五王は現天皇家とは関係がありません。しかし、「万世一系の偉大な天皇家」を主題にしている日本書紀には、その存在は書けません。

関連し、上トップ図に現天皇家と北九州倭国(倭の五王)は無関係であることを示しました。


レインボー
Posted byレインボー

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motomasaong
文盲の時代には歴史は好き放題に捏造される

 日本書記や万葉集の時代には、国民は大半が文盲でした。
 従って、口伝の物語は存在したとしても、文章化された記録はなかったはずです。
 日本書記の時代には、歴史書は文字を読み書きできる支配者階級によって記録され、操作され、捏造され、客観的な事実を正確に記録する物ではありませんでした。
 現在も、メディアは政府による国民操作の手段として悪用され、読み書きできる人であっても、十分な知識と思考力がなければ簡単にだまされます。
 今の日本の政府は独裁政府ですが、日本書記の時代も同じだったということですね。

  • 2024/02/01 (Thu) 18:56
  • REPLY
レインボー
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Re: motomasaong 様、文盲の時代には歴史は好き放題に捏造される

motomasaong 様
いつもコメント、ありがとうございます。

「現在も、メディアは政府による国民操作の手段として悪用され、読み書きできる人であっても、十分な知識と思考力がなければ簡単にだまされます。」ですが、その通りだと思われます。

紫式部という女性作家がおられましたが、日本書記を批判しておりました。当時でも、分かっている人は分かっていた感じで、それが救いです。

  • 2024/02/02 (Fri) 08:25
  • REPLY
佐々木富士八

いつもスゴイ研究成果に驚きつつも楽しみにしています。

私は毎日、必ずランキングだけはポチっとしてゆきます\(^o^)/
これからもよろしくお願い致します<m(__)m>

  • 2024/02/03 (Sat) 00:53
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レインボー
レインボー
Re: 佐々木富士八 様、感謝

佐々木富士八 様

いつも応援、ありがとうございます。
元気が出ます。

  • 2024/02/03 (Sat) 07:54
  • REPLY
コメント

京阪式アクセントはシナ系言語の影響と見られ、おそらく燕系遼東人が天孫降臨して銅鐸文化圏を潰したせいで、古事記・日本書紀に銅鐸の記述ゼロ。
5世紀の日本は寒冷期で不作続き、稲作向き湿地帯が多い越前・近江・丹波などは困窮し、ヤマト王権を征服する余力は乏しかった。水銀鉱山利権目当てに首都機能を畿内へ移転し、防備が手薄になった隙を付いて新羅が任那日本府を占領したとしたら、北九州倭国仮説が成り立つ。
いずれにしろ400年間に古墳16万基築造は、公共工事で天下り官僚の派遣先にしてはあまりに過剰。6世紀までは各地域の豪族の緩やかな連合体制だった、と言う意見が少なくない。

レインボー
レインボー
Re: 名無しさん、感謝

名無しさん
コメント、ありがとうございます。

参考にさせていただきます。

なお、ご指摘のご指摘の「古事記・日本書紀に銅鐸の記述ゼロ」ですが、
これは、古事記・日本書記は、「アイヌ系の万世一系の偉大な天皇家」を主題にし、
その前にあったツングース系王家や倭国を無視したためと理解しております。

  • 2024/02/14 (Wed) 07:12
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