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古代の棚田は廃墟となった(稲作と日本人)

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マダガスカルの棚田1

棚田は古代に作られたイメージが日本人にはありますが、ほとんどは江戸時代以降に作られたものばかりです。関連し、今回は、古代の棚田は廃墟になったことについて愚考します。

これまで、水田は、森からくる栄養豊富な水を貯めて使うので地力維持に優れていることを指摘してきました。

そして、雨期になると森から水が流れてきて自然と土壌が豊かになる天水田(天水畑)が今でもアフリカで利用されていることをヒントに、鉄器が無かった縄文時代、天然の天水畑のようなところで日本では畑作が行われていた可能性を指摘しました。

稲が作られていた畑地(遺跡)の多くは中山間地にあったことが分かっておりますが、この自然の棚田のような天水畑(天水田)を例に、鉄器導入後に人力で開発した棚田もあったと思われます。

その理由として、弥生時代初期の住居跡は、高台から低地にゆっくりと移動していったことが分かっていますが、これは、水田が高台から低地に移動していったためと推察されています。

高台や斜面にある山間の水田(棚田)は、漏水が起きやすい問題があり、水管理は簡単でありません。そこで、こうした問題解決のために、代掻きと畦塗りが必要になります。しかし、そうした技術の無かった時代、中山間の棚田は、その欠陥が分かり、利用されなくなり、水田の中心は漏水の少ない平野部や盆地の底辺に移っていったと推察されます。

以上のことから、弥生時代初期に中山間に作られた棚田式水田は廃墟となっていったと推察されます。

日本に残っている棚田の多くは江戸時代に作られたものです。これは、平野部での水田開発が終わり、残されたところとして棚田が作られたものと推察されております。この棚田作りは、鍬(くわ)があればできるもので、勤勉な日本人の農閑期(冬)の仕事の結果とも思われています。

この時代の棚田では、漏水や土壌崩壊対策として代掻きと畦塗りがしっかりと行われるようになっていて、田植えが行われていたと推察されます。

関連し、上と下の写真は、マダガスカルの棚田です。崩壊している場所も少し見受けられますが、日本と同じように、代掻きと畦塗はしっかりと行われていて、棚田は管理されています。

マダガスカルの棚田2


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Posted byレインボー

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