弥生時代稲作に田植えは無かった(稲作と日本人)
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レインボー

稲作というのは、水の中で作物を育てるわけですので水を貯める技術が必要になります。この水を貯める技術は代掻きによる漏水防止が中心となります。さらには、畦際からの漏水を防ぐために畦塗が重要です。その代掻きの結果、土がドロドロになると田植えができるようになります。
そして、この代掻きと田植え技術を使えば、水の漏水が少なくなり、欠株が無くなり、どこでも安定した収量を得ることができるようになります。この意味で、稲作は田植えによって安定したと言われます。
今回は、稲作技術で最も重要と思われる田植えと関連し、弥生時代に田植えは無かったことについて愚考します。
田植えの始まりについては、点状になっている稲の株跡遺跡の様子から、田植えは弥生時代からあったという報告があります。
しかし、そうした株跡の状況を詳細に見ますと、畑地のような乾田であったことが分かってきました。すなわち、漏水が多く畑地のようになっていたわけですが、これは代掻きをしていなかったためと思われます。代掻きなしに田植えはできませんから、弥生時代に田植えはなかったと推察されます。
代掻きというのは、耕起、水入れ、代掻き、均平、という作業で、極めて労力がかかり、簡単ではありません。当時の水田跡からは、これは見えてきません。
それでは、なぜ移植跡のような株跡があるのかですが、当時の稲作は、掘り棒を使った点播(乾田直播)だったためと思われます。この方式は、アフリカやアジアの焼畑栽培で現在でも最も普通の方法で、当時も、そのような方法で播種していたと思われます。
その理由として、日本では1万年前頃から稲が畑作で作られており、そのような掘り棒を使った種まきに慣れており、3000年前頃から始まった水田稲作(乾田直播)にも使われていたと考えられます。
なお、上と下の写真は、アフリカにおける天水田における点播き栽培(乾田直播)の様子で、移植栽培のようにも見えますが掘り棒を使った直播です。


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