山栗は縄文時代の主食であった

縄文時代の主要な食べ物は、ドングリやトチノ実であったという報告がありますが、拙ブログでは栗だと思っています。
先日、東京新聞(2017年7月30日)の文化欄(25ページ)に、「縄文の知恵を追って、植物から先人の暮らしに迫る」という記事が出ておりました。佐々木由香さんという女性研究者の縄文時代の食べ物について最近の成果を紹介したものですが、今回は、この記事に刺激を受け、山栗は縄文時代の主食であったことについて愚考します。
まず、上の写真は、その新聞の様子です。記事では「(縄文)集落周辺では栗や漆など人間に役立つ木が自然界ではあり得ないほど生え、人為的な生態系があった」、とあります。
その栗ですが、私は東北の生まれで、少年時代、秋になると栗採りに山に行ったものです。そして、それを集め、冬にいろりで焼いて食べることを楽しみにしていました。焼いているとき爆発しないように、空気穴を空けてから焼いていましたが、その美味しさは今でも忘れません(笑)。それだけ栗は身近で、縄文人が栗を集め食料としていたことは、そのとおりだと思っています。
しかし、歴史教科書では、その縄文住居跡遺跡からドングリやトチノ実が多量に出てくることから、これらが主要な食料であったと紹介されていて、違和感を持っていました。というのは、私たちの経験ではドングリやトチノミを食べたことがありません。調べると、これらはアク抜きをしてから食べるようです。
最近のことですが、古代稲作研究で高名な佐藤洋一郎は、縄文時代最大の集落跡遺跡と思われる山内丸山の周辺で栗林が広く作られていたことを明らかにしました。やはり、縄文人は栗を多量に食べていたのだと思います。そこで、次の理由から縄文時代、栗は主食であったと思われます。
1. 栗はデンプン豊富で栄養価が高く、貯蔵保存も簡単にできる。
2. アク抜きが必要なドングリやトチノミと違い、そのまま食べることができる。
3. 特段の栽培法はなく簡単に作ることができる。
4. ドングリやトチノミが縄文遺跡から多く出土するのは、日常的に食べるためでなく飢餓食物として保存されていたためと思われる。
なお、下の写真は、記事と直接の関係ありませんが、日本で野生しているナワシロイチゴという野イチゴで6月下旬の様子です。我が自然との共生をめざす自家菜園では、この野生株を株分けし、栽培しています。


下の写真は収穫物で、これでジャムを作ります。縄文時代は、こうした野生の実が身近に豊富にあり、楽しんでいたのではないかと想像しております。

こうした菜園に興味のある方は、拙ブログ左側のリンク先の「野菜を食べやさい」をクリックしますと、関連記事を見ることができます。

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