自然との共生思想は西洋文明に飲まれなかった(縄文思想と日本人)
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レインボー

前回(2日前)、日本における自然との共生思想(縄文思想)はアイヌ系の人々によって縄文時代に確立した思想であることを考察しました。今回は、その思想が西洋文明に飲まれなかったことについて考察します。
日本に江戸時代という安定した平和な時代がありました。この時代は、森が守られ、都会の人糞などの有機物は堆肥という有機肥料に加工され畑や水田に施用され、循環型の有機農法の時代、すなわち自然との共生の時代であったことが知られています。
一方、このとき、ヨーロッパの城壁都市内では人糞の処理場がなく、例えばパリのようなところでも、人糞を道路に播いて処理していたこと、この匂いが嫌になり国王ルイ14世が郊外に住むようになったという話もあります。
そして、明治時代になって自然と対立するヨーロッパの思想が多く入ってきました。しかし、それは日本人の自然との共生思想を変えることはできませんでした。
例えばヨーロッパ思想の中心となっているキリスト教です。多くの日本人知識人が西洋文明の影響を受けました。そして、私の海外経験ですが、その西洋と肩を並べる技術力の高さのせいか、日本人の多くはクリスチャンだと思っている人が多い感じがします(笑)。
しかし、クリスチャンになった人はわずかです。日本人の多くは、従来の神社宗教を受け入れていて、それは変わりませんでした。拙ブログでは、そのベースは縄文時代以来の自然との共生思想であると愚考しているところです。
自分探しに世界中を歩き、そして、マダガスカルきた日本人青年とお会いしたときのことですが、世界の宗教について話をしたことがあります。
そのとき私は、「日本人は、例えば、森の木を伐採するなど自然を壊すことに祟り(たたり)があるのではないかと怖れる。このため、許しを得ようと地鎮祭みたいなものを必ず行う。」と日本人の宗教心について語りました。
すると、彼は、「理屈で分からないことを怖れる自然な気持ち、それが本当の宗教だ。文明国でありながら本当の宗教心があるのは日本人だけかもしれない。」、と言ってきました。
まとめますと、日本に西洋文明が導入され、日本人はそれを改良し活用しましたが、思想までは変えませんでした。それは、日本の縄文思想(自然との共生思想)は、自然であり、変える必要はなかったためと思われます。
なお、上と下の写真は、自然との共生思想をベースに、すなわち、できるだけ自然を壊さない農法で楽しんでいる我が菜園のメロンとスイカ収穫直前の様子です。我が菜園では、無農薬、無耕起、無堆肥、無畝立て、無追肥、無石灰、無ビニールマルチで野菜果樹を作っています。


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