アイヌは何故、日本を目指したのか(アイヌ系と日本人)
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レインボー

アイヌ系民族がアフリカを出たあと、南国のスンダランドに着いたことを前回紹介しました。しかし、そのスンダランド留まらず、なぜ日本をめざしたのかについて今回は愚考します。
このスンダランドの末裔と思われる現在のインドネシア等周辺の人達のY染色体ハプログループはマレー系(O1b)が主で、アイヌ系(D)はほとんどいません。
一方、スマトラにD型が少し認められることから判断しますと、アイヌ系は、アフリカを出た後(13万年前頃)、スンダランドというよりも、スマトラなどスンダランド西端に到着し居住したと思われます。
そして、ベトナムにもD型が少し認められることから判断しますと、スマトラからベトナムに居住地を拡大したと推察されます。
そこで、私の愚推ですが、その後、日本という緑豊かで食糧豊富な場所があるという情報を知り、日本に向かったと思われます。
1000年単位で考えますと、ベトナムと日本の間は遠くありません。例えば、ベトナム、中国南部(海南島)、台湾、日本(石垣島)のコースを考えますと、石垣島辺りは、台湾のすぐ傍です(上の図参照)。
まして、当時は氷河時代で海面が低かったことから推察しますと、陸の面積は多く、島と島の間は今より狭く、島から島への移動はより簡単であったと推察されます。
アイヌ系は、アフリカを出るとき、アフリカとアラビア半島の間にある紅海を最初に渡った民族と言われます。このことからも、海の航海のできる民族であったと推察されます。
アイヌ系Dグループ人達が今も沖縄に認められますが、その人達は、最初に日本に来た人達の末裔と思われます。そして、その人達の仲間は、新たな情報をもとにさらに北を目指し、黒潮に乗り太平洋側を移動し日本中に広がったものと思われます。
それらの関係文献と図を下に表示しました。


関連し、下のマンガ絵でくつろいでいただければ(笑)。


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