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技術立国日本のルーツは縄文時代に(縄文思想と日本人)

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三内丸山遺跡と海洋交易

拙ブログでは、日本の技術立国のルーツは縄文時代にまで辿ることができると指摘しております。今回は、そのことについて、少し詳しく考察します。

縄文土器が2万年前頃から発現しますが、人類世界最初の土器であったと評価されています。それは、余った木の実など収穫物の保存を可能にし、また食物の煮炊きを可能にするという画期的な発明です。このため、縄文社会は世界最初の定住社会、あるいは海洋交易社会というものを作りだしました。

世界最古の文明のあけぼのとして、7千年前頃のエジプトやユーフラテスの遺跡が知られていますが、縄文文化というのは、それらよりもはるかに古いことになります。

有名な縄文時代の三内丸山遺跡(5000年前)の調査によると、中国の遼東半島の円筒式土器や北海道の網走の黒曜石まで出土していることが分かっており、縄文時代の日本は広い地域がつながっていたことが分かっています。

北海道の網走から運ばれた黒曜石は、切り味鋭く、魚を切り裂くのに使われたと言われます。ということは刺身のルーツも、ここにあるかもしれません(笑)。

私が最も驚くのは、直径が1mもある栗の木が何本も切り取られ、見晴らし台の柱として利用されていたことです。こんな太い木を当時の技術でどのように切り取ったのか、興味は尽きません。

そして、当時、その最高峰の木材加工技術を使い、世界最大の船が造られ、広い海洋交易が行われたと思われます。

また、その遺跡からは、山ブドウから作られたブドウ酒のようなものもあったことも知られています。さらには、三内丸山の側には広大な栗林が作られ、冬の食糧確保を可能にし、他地域から運ばれた装飾品も多数出土しており、縄文社会が豊かであったことが証明されています。

そして、縄文時代の遺品で私が最も感心したのは、魚の骨から作られた針です。これは長野県の栃原岩陰遺跡から発掘されたものですが、長さ5㎝、幅2㎜の針に1㎜程度の糸を通す穴が空けられていたのです。その精巧さには感心しました。この辺に現在の技術立国の日本の姿がすでに見える感じがします。

そして、その世界最初の土器文化を作った好奇心旺盛な縄文フロンティア精神は、近代にあってはヨーロッパ文化を吸収し、技術立国の日本を作り上げた、と想像することに無理は感じられません。

なお、上の地図は山内丸山縄文遺跡を中心とする交易の様子です。


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Posted byレインボー

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