卑弥呼は北方系色白美人であった愚考(邪馬台国と日本人)
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レインボー

邪馬壱国(邪馬台国)の場所はどこか、九州か機内か、未だに論争している感じがします。
今回は、その邪馬台国と関連し、素人ながら女王卑弥呼のルーツに迫ります(笑)。
卑弥呼は邪馬台国の女王ですが、「卑弥呼は鬼道に通じ人を惑わす」とあります。これは、卑弥呼が女性シャーマン(祈祷師)であり、その才能があり、女王として祭りあげられたのだと思います。
この女性シャーマンについて先日(2日前)、北方(韓国)にルーツがあることを紹介しました。一方、北方と関連し、秋田美人のルーツは色白長身の北方系であることも紹介しました。これらのことから愚推しますと、直感ですが(笑)、卑弥呼は北方系の色白長身美人の女性シャーマンであったことを想像させます。
倭国は倭人の国の呼称ですが、倭人とは低身長の人の蔑称で、倭国にはそのような人達が多く居るので倭国と言われていたと思われます。拙ブログでは、その低身長倭人のルーツは稲作民族のマレー系であり、彼らは当初は北九州に居住した、と紹介してきました。
低身長で色黒のマレー系の人達が多い倭国において、長身色白美人の卑弥呼は目立った存在、憧れの存在であったような感じがします。そして、マレー系の倭人にはない鬼道に通じており、多数の国をまとめるカリスマ性があったと想像できます。
なお、卑弥呼の鬼道について、呪術を用いることもある中国の道教と同じという説もありますが、卑弥呼が居た3世紀には道教は日本に入ってきた様子はなかったことから推察しますと、卑弥呼の鬼道はツングース由来と思われます。
まとめますと、卑弥呼は北方系の祈祷師であり、その能力とカリスマ性によって倭国を統合していたと思われます。一方、大和政権ですが、女性祈祷師の存在は弱く、祈祷師(神主)のほとんどは男性であります。女性に巫女という役柄がありますが、祈祷はまかされておりません。この意味において卑弥呼の倭国は、畿内の大和政権とは違う系統であり、その場所は九州にあったと思われます。
関連し、上の地図はその邪馬台国の場所と卑弥呼のルーツです。
また、下の写真は記事と関係ありませんが、我が有機菜園の隅に自生している秋の花の様子です。


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