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邪馬台国の人々はマレー系の集団であった(邪馬台国と日本人)

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各民族のマレー系の割合(地図)


邪馬台国の人々はマレー系の集団であった(邪馬台国と日本人)

前回(2日前)は邪馬壱国(邪馬台国)の卑弥呼のルーツについて想像しました。関連し、今回は、邪馬台国の人々のDNAについて、その生活習慣から推察します。

魏志倭人伝には倭国の人々の生活や習慣についても記してあります。何度も指摘しておりますが、倭人というのは低身長の人々に対する蔑称です。中国人に比較し、倭国は低身長の人々の国だったことになります。

そして、その書では、倭人は入れ墨(分身)をしていたこと、海に潜り海産物を取るのが得意だったこと、裸足で暮らしていたこと、手で食べていたこと、南方系の貫頭衣を着ていたことなどが書いてあり、総じて、中国南東部にある海南島の人々に似ている、とあります。

一方、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類 Hammer 2005)を見ますと、日本人は、おおよそアイヌ系が35%、南方マレー系が30%、北方ツングース系(モンゴル系と中国系の混血)が30%、フイリピン系等その他が5%、となっています。

このDNA情報から日本に来た民族の中で倭国の人々に似ている民族を推察しますと、南方系のマレー系の人々以外には考えられません。

拙ブログで指摘してきたことですが、マレー系民族は、南方(インドネシア当たり)が故郷、海洋系民族、稲作民族、低身長の特徴があり、当時人口密度の低かった朝鮮半島南部から北九州当たりに1万年前頃から移住してきました。

そして、マレー系の人達は北九州に居住し、縄文時代以降、江南地方の水田稲作を導入し、発達させ、邪馬台国を建設したと推察されます。

一方、邪馬台国は畿内にあったという説もありますが、そのマレー系の容貌や生活様式からみて、このマレー系の集団が畿内に居たと想像することは困難です。

関連し、最近のDNA調査(Y染色体ハプログループ分類)のマレー系(ハプログループO1b)の人々の各国の割合について上の地図に示しました。また、そのもとになったデータを下表に示しました。

マレー系が中国南部のヤオ族に40%、ベトナムに33%と多数認められますので、倭人が海南島の人々に似ているという魏志倭人伝の記述とこのデータは一致します。

このことは、稲作民族の倭人のルーツは江南より南だったこと、照葉樹林文化の導入にも関係していたことを示唆します。また、マレー系民族の故郷がインドネシア当たりですが、彼らは、中国南部を経過し、日本に来たことになります。

さらに、これらの情報を総合しますと、古代の日本は低身長の人々が住む倭国と中国から言われていましたが、倭国は日本というよりも九州にあったと判断するのが妥当と思われます。

各民族マレー系のY染色体ハプログループの割合(表)


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