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神武天皇の日本統一の夢愚考(邪馬台国と日本人)

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神武天皇東征


神武天皇の日本統一の夢愚考(邪馬台国と日本人)

神武天皇については、神話の人物なのか、実在した人物なのか、まだ論争のある感じがします。しかし、日本国を統一した最初の英雄として位置づけられること、日向(宮崎)という実在の発祥地名があること、その周辺背景や移動経路も明らかであることから、特段の矛盾はなく、そのような人物が実在した、と拙ブログでは理解しています。

関連し、前回(2日前)、その神武天皇が宮崎県の日向(もと投馬国)に現れたことを紹介しました。今回は、神武天皇がどのような夢と情熱をもって東征を始めたのか、当時の状況から愚考します。

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)ですが Hammer (2005)によれば、おおよそ、日本人はアイヌ系が35%、マレー系が30%、北方系が30%(中国系20%+モンゴル系10%)、その他5%になります。

そして、拙ブログでは、日本の人類遺跡が10万年前からあることから推察し、日本に最初に来た民族は10万年前に来たアイヌ系であり縄文文化を作ったと観ています。次いで、南方から1万年前頃マレー系が、そして、北方から4000年前頃、モンゴル系と中国系の混血民族のツングース系北方民族が少しずつ来たと観ています。

そして、言語ですが、マレー系民族が多数であった北九州を除き、日本語は先住民族のアイヌ系の言語をベースに形成されてきました。

拙ブログでは、太平洋側はアイヌ系の多い地域として紹介しておりますが、宮崎もその一部と思われます。そして、宮崎の地は、このアイヌ系を中心にマレー系、そして北方系のツングース系も加わり、稲作の普及に伴い人口が増大すると、新天地など同じ仲間の居る東側への興味が強くなっていったと思われます。

一方、北九州にはマレー系の言語を話すマレー系を主体とする邪馬台国があり、中国に朝貢するという大国でした。当然のことながら、日向(もと投馬国)より一歩先んじていました。

これらの情報から判断しますと、神武天皇は、日本語の集団の中では日向の地(投馬国)という先進地から出た王族ですが、九州という地域事情から、邪馬台国に対する対抗心もあったと思われます。そのため、先進地の邪馬台国を訪問したと思われます。

そのとき、その先進文化や中国からの賜物、さらには文字や書類を初めて見て、感動したと思われます。さらには、その文明国の中国に行ったこともある通訳を通し、中国で三国時代があり、今でも争いが絶えない事、さらには高句麗という国が現れ、中国を圧倒するような勢いがり、朝鮮半島を南下してきていることも知ったと思われます。

彼は、それらに刺激をうけ、自分の歴史上の役割を自覚したのではないかと思います。すなわち、日本全国にいる日本語を話す仲間をまとめ、その中心と思われる大和地方に政権を作りあげようとした。これができるのは自分しか居ないと思った。

例えば、ウイキペディアによりますと、『日本書紀』では 神日本磐余彦天皇(カムヤマトイワレビコ)は45歳(数え)の時、・・・遠くの地では争い事が多く、塩土老翁(シオツツノオジ)によれば東に美しい国があるそうだから、そこへ行って都を作りたいと言って、東征に出た。とあります。

この「遠くの地では争い事が多く」は、当時の状況から判断し、中国の三国志の争いや朝鮮半島の高句麗と新羅や百済の争いを意味する可能性があります。その情報は邪馬台国から得たと推察されますが、そこで神武天皇は、当時の日本の中心の大和に行き、そこで国をまとめ、軍事的に強力な高句麗などの支配から日本を守ろうという高い志があったのではないかと推察されます。

関連し、神武東征の様子を上の地図で示しました。

余談ですが、ウェブサイトのいくつかの神武天皇画像を見ますと、その容姿は髭が濃く鼻は高くアイヌ系です。個人的には、最初に日本を統一した勇者であったこと、出身地が南九州であることから、西郷隆盛のようなカリスマ性のあるアイヌ系の顔立ちのリーダーであったと想像しております(笑)。


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