マレー系民族の日本への道(南方系と日本人)
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レインボー

Y染色体ハプログループ解析(Hamer 2005)では、日本人のマレー系(O1b)の割合は32%、アイヌ系35%に次ぐ第二グループです。今回は、そのマレー系が日本に来た経過について愚考します。
まず、現在のマレー系(O1b)の民族・地域別の割合は上の表のとおりです。これらのデーターから推察しますと、次のことが推察されます。
まず、マレー系の人々は、スンダランド(バリ島などインドネシア)で人口が増えました。一方、1.2万年前頃になると、氷河期が終わり、スンダランドの居住地は小さくなってきました。これらの結果、食料問題が発生し、新たな居住地が必要になってきたと思われます。
この中で、当然ですが、初めは、居住地からマレー半島、ベトナム、ベトナムから中国南部へと隣接する大陸東側周辺部に居住地を拡大したと思われます。
しかし、前回紹介しましたように、その北の台湾にはフイリピン系が居住していました。さらには、東南アジア大陸部や中国本土には中国系がすでに居住しておりました。また、日本の太平洋側にはアイヌ系が居住しておりました。これらのため、これ以上の隣接地域への移動拡大は制約がありました。
しかし、こうした状況のなか、朝鮮半島だけは人口の少ない地域でした。このことは、人類遺跡の少ないことからも裏付けられます。ちなみに、日本では後期旧石器時代と言われる3万年前~1.2万年前の遺跡は4万カ所を越えています。しかし、この時代の遺跡は朝鮮半島では僅かです。
そこで、マレー系が大陸東海岸を北上し、新天地を広げることができる地域として朝鮮半島が第一候補であったと推察されます。さらに、その過程で、彼らは航海術を開発し、移住を成し遂げと、推察されます。この結果と思われますが、朝鮮半島には、マレー系ハプログループ(O1b)が多数存在します。
さらに、日本への影響ですが、そのマレー系の人たちは、日本海側の北九州や山陰地方にも移住したと思われます。これが、日本におけるマレー系の移住の始まりと思われます。
関連し、現在のマレー系の割合を下の地図で示しました。また、日本への移住時期については次回愚考します。


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