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倭の5王の漢字名由来愚考(邪馬台国と日本人)

倭の五王の時代(地図)

倭の5王の漢字名由来愚考(邪馬台国と日本人) 

倭の五王が大和政権の王なのか、倭国(北九州)の王なのか、まだ論争がある感じがします。関連し、今回は、倭の五王の漢字名について愚考します。

まず倭国については、その人々が中国最南端にある海南島の人々に似ているという魏志倭人伝の記述を重視し、マレー系民族の国であったことを拙ブログでは先日紹介しました。

さらには、マレー系の倭国が中国に朝貢できたのは、マレー系の言語は中国語と文法が同じであり、倭国の人にとって通訳は簡単に見つかること、さらには、マレー系の人々は朝鮮半島南部にも多数居たこと、さらに、マレー系民族が稲作民族であることから朝鮮半島南部の稲作地帯にも多数居たこと、百済はその中心であり、倭国は朝鮮半島とマレー系言語で結ばれていたことを紹介してきました。

また、倭国は399-404年に高句麗と戦ったとあります。それは倭国の五王時代ですが、倭国は邪馬壱国(邪馬台国)以前の時代から中国に朝貢するなど日本の先進地域として発展してきており、朝鮮半島については同じマレー系民族のいる地域であり、同じ民族が居る地域として出兵しやすい環境にあったと思われます。

そして、倭の五番目の武王が、「東征大将軍」と中国から位を得たのは、中国と対立している高句麗に対し東方(反対側)から戦った倭の実績が評価されたものと推察されます。しかも名前が強そうな「武王」ですから、中国からの推薦もあった名前なのかもしれません(笑)。

以上の関係から、倭国では、外交上漢字が使われており、当然のことながら中国に朝貢するときは、王の名前に漢字を使ったと思われます。

そこで、当時のそれらの状況から判断しますと、倭の五王は倭国(北九州)の王であった、と推察されます。これらの状況を上の地図に示しました。また、関連の事件を、下表にまとめました。この表は、週刊スモールトーク (第161話) 邪馬台国と大和朝廷(2011.10.10)http://benedict.co.jp/smalltalk/talk-161/にある表をベースに拙ブログで朝鮮半島の状況等を加え、簡略化したものです。

また、「卑弥呼は漢字を知っていた」http://blog.goo.ne.jp/awakomatsu/e/e6cdba43c1edbfec6862584f107bf66eという記事がありますが、卑弥呼の倭国では漢字の使い方が進んでいたようで、倭の五王の名前と関連し、たいへん興味深い記事です。

倭国日本の古代と朝鮮半島


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[ 2017/10/07 08:02 ] 邪馬台国と日本人 | TB(-) | CM(0)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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