稲荷山古墳出土鉄剣の万葉仮名愚考(邪馬台国と日本人)

稲荷山古墳出土鉄剣の万葉仮名愚考(邪馬台国と日本人)
前回(10月1日)、万葉仮名のルーツがマレー系の言語の発音にあることを紹介しました。関連し、今回は、我が国で最初に万葉仮名が使われたと言われる埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣の碑文について愚考します。
まず、その碑文の意味ですが、「獲加多支鹵の訓は "ワカタケル" で正しいか -銘文を中古音で訓む-」によれば、次のとおりです。
鉄剣に銘文を記銘させた者が 乎獲居臣 で あり、・・・獲加多支鹵大王寺(大王)に代り左治天下(王に代る宰相)と言う輝かしい名誉が あって、これを端緒として この事蹟を家系と併せて記念として残したいと言う 乎獲居臣 の意思が働いて、この鉄剣を鍛造鍛冶させたので あろう。・・・しかも銘文は、金錯銘と言う豪奢で非常に手の込んだ特殊な手法を用いて記録として残して おり、しかも類を見ない程 の長文で ある。この被葬者は余程左治天下の事蹟が嬉しかったので あろう。(引用終了)
鉄剣作成時期は辛亥年(西暦471年か531年)のようです。
そして、ここでも諸説があり論争が続いている感じがします。論点は、鉄剣持ち主(乎獲居臣)が宰相として仕えた獲加多支鹵大王寺という大王が誰なのか、に集約されます。
上記の専門家によれば、「獲加多支鹵」の「獲と鹵」は万葉仮名になくワカタケルと読めない、とあります。無理に読めば「エカタシロ」または「エツカタシロ」となるようです。私個人的には「エカタシロ」が普通の万葉仮名読みと思われます。
そして、通説の「ワカタケル」と読めれば大和朝廷の雄略天皇を指していることになり、一方、「エカタシロ」となれば、関東地方の大王等となります。
拙ブログでは、6世紀当時、関東地方は毛の国と呼ばれ、大和朝廷の支配下に無かったことを紹介してきました。また、大王(天皇)に代り宰相ともなった乎獲居臣については古事記や日本書紀に記述がありません。
それらから考えると「エカタシロ大王」は、稲荷山古墳辺り、すなわち現在の群馬、栃木、埼玉を支配していた蝦夷の大王の可能性があります。その鉄剣の発見された古墳の場所は、関東平野の真ん中です(上の地図参照)。5世紀以降となると、この広大な大地に蝦夷の大王が居てもおかしくはありません。
そして、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)、Nonakaら(2007)の報告によれば、今でもアイヌ系の割合は関東では半分(48%)近くあります。また、近くの群馬は毛野国と呼ばれていました。当時はもっとアイヌ系の割合が高かったと思われます。
これらの状況から想像しますと、5~6世紀に関東地方に蝦夷の「エカタシロ大王」が居て、その宰相を務めた男が碑文入り鉄剣を作ったような感じがします。そして、その人名は万葉仮名にない発音の蝦夷の名前であり、新漢字を使わざるを得ない状況であったと推察されます。
そして、その碑文入り鉄剣を誰が作ったかですが、作った時期が471年~531年の場合、当時、北九州で栄えていた北九州倭国に居た技術者が関東地方にも流れてきて、関東でも高度な碑文入り鉄剣の作成が可能になった、と考えることができます。

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