fc2ブログ

日本人の縄文思想と稲作のルーツ

日本人は、アイヌ系35%、マレー系30%、半島由来ツングース系25%、その他10%の混合混血民族です。DNA分類の結果、ヤマトにはツングース系王家が創られ、その後、アイヌ系の現天皇家に滅ぼされたと推察されます。万世一系を主題にした日本書紀は創作になります。関連し、今回は邪馬台国の真相に迫っています。
2023 04123456789101112131415161718192021222324252627282930312023 06

秋田美人と博多美人のルーツの違い、身長差から(日本人のルーツ)

秋田美人と博多美人のルーツ


秋田美人と博多美人のルーツの違い、身長差から(日本人のルーツ)

日本三大美人と言えば、秋田美人、京美人、博多美人を指すようですが、拙ブログでは、「秋田美人のルーツ」、「博多美人のルーツ」について検討してきました。そして、秋田美人はツングースの影響で色白高身長、博多美人はマレー系の小柄だが可愛らしい丸顔に特徴があることを指摘してきました。

今回は、身長データを使い、本当に秋田美人は高身長、博多美人は低身長なのか検討します。

まず、データは前回紹介の「学校保健統計調査 都道府県別身長(17歳)」の1996年、2006年、2014年の秋田県と福岡県のデータを用いました。

結果を下の図に示しました。明らかに、秋田女性は高身長、福岡女性は低身長でした。3年平均で、秋田女性は0.9㎝高い結果でした。

身長、秋田県と福岡県女性

しかし、その秋田女性の身長は、1996年が159.1cm、2006年が158.7cm、2014年が158.3㎝と年ごとに低くなっていく傾向が認められました。このことは、高身長の秋田美人は人気があり、県外に出ていってしまった結果なのか、あるいは、県外の低身長の男性が秋田美人と結婚し子供の身長が低くなってしまった結果なのか、いずれにせよ、最近は人の移動が激しいことを示唆しております。

そして、以上の結果は、秋田美人は高身長ツングース系民族のDNAの影響があることを示唆します。一方、博多美人ですが、低身長であることは、低身長(小柄)マレー系民族のDNAの影響があることを示唆します。

まとめますと、秋田美人はツングース系民族の影響、博多美人はマレー系民族の影響があるという拙ブログの指摘は、身長のデータに関し、当たっている感じがします。

また、関連し、ツングース系民族は日本海を北上し北陸方面へ、マレー系民族は稲作民族として北九州方面に多く移住したということを拙ブログで指摘してきましたが、本結果も同じ傾向を示唆したと思われます。

関連し、秋田美人と博多美人のルーツを上のトップ画面に示しました。


日本史ランキング
[ 2018/08/25 14:08 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(18)

神社と日本人のルーツ愚考(日本人のルーツ)

マダガスカル石海岸の夕暮れ


神社と日本人のルーツ愚考(日本人のルーツ)

神社信仰は日本独自の精神文化の象徴とも言われます。世界宗教の範疇で言えば、3大宗教とは別のもので、多神教あるいは原始宗教の一部と分類されます。今回は、神社のルーツについて、日本人のルーツ、すなわち、アイヌ系、マレー系、ツングース系、それぞれの神社との関りについて、2回に分けて愚考します。

まず、拙ブログで何度も紹介していることで恐縮ですが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)から、日本人のルーツは、最初に来たアイヌ系が35%、次いで南方から来たマレー系が30%、最後に朝鮮半島から来たツングース系が30%、その他が5%と分類されます。

まず、アイヌ系と神社の関りですが、縄文時代に自然との共生をベースにした社会を作りました。そして、あらゆる自然のものに怖れをいだき神的なものを感じる世界観を持つようになりました。その世界観は、次にきたマレー系民族とツングース系民族にも広がり、現在の日本人の精神世界となっていったと思われます。

そこでは、それらの中でも人が特に怖れをいだくもの、例えば神々しい山、巨大な岩などに強い神の存在を感じ、そこを祈りの場所にしていき、そこが神社の場所になっていった、と予想されます。

ブログ仲間に「神秘と感動の絶景を探して」がありますが、そこではそのような縄文時代からある場所に神社があることを紹介しております。

次にマレー系の民族ですが、彼らは神社のなかでもその入り口となる鳥居を導入したと思われます。このことは、照葉樹林文化導入と関係しておりますが、次回紹介したいと思います。

最後に、ツングース系民族ですが、彼らは、中国文化の影響を強く受けていますので、神社の境内に、その中国にあるような立派な様式を求めたのではないかと思います。孔子廟のようなものを真似たものと思われます。

まとめますと、神社の祖型は縄文時代にあり、祈りの場がまずでき、そこへ簡単な鳥居が作られ、最後に、稲作の導入で富が増えると拝殿が作られ、現在の神社になっていった、と思われます。

なお、上と下の写真は記事と関係ありませんが、先日紹介のバオバブの林の近くのマダガスカル西海岸の夕暮れと昼の様子です。夕暮れは神秘的と思われます。

マダガスカル西海岸の昼


日本史ランキング
[ 2017/12/03 08:18 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(4)

何故日本人は遺骨への思いが強いのか、そのルーツ愚考(日本人のルーツ)

クコと実11月下旬


何故日本人は遺骨への思いが強いのか、そのルーツ愚考(日本人のルーツ)

先日(2日前)、洗骨の習慣がマダガスカルとフィリピンのマレー系の人々にあることを紹介しました。一方、日本人ですが、その洗骨の習慣が沖縄地方に最近まで残っていたと言われます。今ではその洗骨の習慣は無くなりましたが、戦後の遺骨収集の執念等を見ますと、日本人は遺骨に対する思いが強い民族かと思われます。

一方、「遺骨は抜け殻にすぎない。お墓は不要」という記事がダイヤモンドオンラインにありました。その記事では、「よく「死者の霊を弔う」といいます。日本人は遺骨=霊という思いが強いですが、仏教では霊の存在について「ある」とも「ない」とも言っていない。」と指摘しております。

この記事から推察しますと、日本人は、仏教徒と分類されますが、それと関係なく遺骨=霊という思いが強い民族かと思われます。その思いがどこからきているのか、今回は、そのルーツについて日本人のルーツとの関りから愚考します。

日本人のルーツについては、何度も指摘しておりますが、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)の結果から推察しますと、アイヌ系が35%、マレー系が30%、ツングース系が30%、その他5%です。

アイヌ系については、自然との共生思想があり、死ぬと肉体は自然に還り魂(たましい)はあの世に行くだけで、遺骨へのこだわりは強くありません。

また、ツングースについては、そのベースはモンゴル系ですが、現在はチベット仏教を受け入れ輪廻を信じていて、遺骨へのこだわりはありません。また、日本に来たのはツングース系なかでも韓国系と言われますが、現在の彼らは儒教思想が強く、死んだら儒教的聖人や偉人になるのが理想であり、遺骨へのこだわりはないと言われます。

ということは、日本人のルーツで遺骨へのこだわりがあるのは現在では、先日から紹介しておりますマレー系の人々だけになります。

マレー系の人々は、古代においては倭国(九州王国)建設や百済王国建設に関わり、日本の中心であった時代があることを拙ブログでは指摘してきました。その時代、遺骨はその人の本体だというマレー系民族の考えが古代に広まり、遺骨=霊となり、日本人の遺骨へのこだわりとなっていったことが予想されます。例えば、骨を拾う、というのは昔からある言葉です。

その後、仏教式葬式が主流となり、その思いは表には出てこなくなりました。しかし、戦後、外国で亡くなった人たちの遺骨収集が行われるようになり、その遠い思いが最近になって蘇ってきたような印象を受けます。

なお、上の写真は記事と関係ありませんが、我が菜園の不老長寿の実と言われるクコの実の様子です。私ことですが、クコの実を食べ、ここ数年、カゼひかず、です(笑)。


日本史ランキング
[ 2017/12/01 09:09 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

縄文人と弥生人ルーツ(日本人のルーツ)

秋の有機菜園9月2

縄文人と弥生人ルーツ(日本人のルーツ)

「FNS27時間テレビにほんの歴史」(9月9日)で、「縄文人弥生人ルーツ世界中で似てる人探し」が報道されていました。テレビ報道と関連し、今回は、縄文人弥生人ルーツについて愚考します。

まず、そのテレビ報道では、縄文顔は南方由来として、バリ島に多いことを紹介していました。実際に日本人に似た顔が出てきました(笑)。

拙ブログでは、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で、日本人のルーツは、おおよそ、アイヌ系が35%、マレー系が30%、中国系が20%、モンゴル系が10%、その他5%であることを紹介してきました。

そこから推察しますと、バリ島の人々はマレー系の人々に当たります。因みに、Karafet (2005) のデータでは、バリ島におけるマレー系(ハプログループO1b)の割合は59%ですので、日本人の中のマレー系の人々(30%)のルーツがバリ島当たりにあるというのは本当だと思われます。

しかしながら、マレー系の人々は稲作民族であり、水田稲作を持ち込んだ人々ですので、彼らを縄文人のルーツと言うのには問題ありと言えましょう。実際に、テレビのバリ島風景ですが、稲作民族の象徴である棚田風景がテレビでは大きく映し出されておりました(笑)。

一方、弥生顔ですが、バイカル湖付近がルーツということでした。日本人のルーツがバイカル湖付近にあるというのは古くから指摘されてきたことですが、実際に日本人に似ている人がテレビに映し出されていました。

拙ブログでは、彼らは、北方系のツングース系の民族であり、モンゴル系と中国系の混合混血民族と紹介してきました。その意味で、モンゴル系10%と中国系20%の日本人(30%)のルーツがバイカル湖あたりにあるというのはある程度当たっていると思われます。

しかし、彼らツングース系の民族は畑作民族であり、弥生時代を作った稲作民族ではありません。彼らが朝鮮半島から水田稲作を持ち込んだという説は否定されています。彼らを弥生人と言うのにも問題ありと言えましょう。

なお、上と下の写真は、自然との共生を目指し、無農薬で野菜果樹を作っている我が菜園の秋の風景です。


DNA研究、Y染色体ハプログループ解析とは?

参考までに、Y染色体ハプログループ解析について、初めての人のために紹介しますと、次のような感じです。

男性か女性を決める染色体にXとYがあります。XYが男性、XXが女性になるわけですが、Y染色体は男性にだけあり、父親から男の子供に引き継がれることになりますので、そのY染色体をたどると父親のルーツが分かることになります。

このY染色体は、巨大なDNA配列の塊からできておりますのでそのDNAの配列から種類を細かく分類でき、人類の祖先のDNAを分類するのに最適と言われております。

たとえば、Y染色体ハプログループがD型ですと、それはアイヌに多い型ですので、その人の男親のルーツはアイヌ系となります。そして、このD型という分類は、10万年経過しても、マイナー変化はありますが、D型のままで変わることはありません。

秋の有機菜園9月1


日本史ランキング

[ 2017/09/27 07:12 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(0)

信長がモンゴル系という直感は当たっていた(日本人のルーツ)

菜園の自生のアサガオ9月

信長がモンゴル系という直感は当たっていた(日本人のルーツ)

拙ブログで9月3日に、「信長はモンゴル系、秀吉はマレー系、家康はアイヌ系、黒田官兵衛は中国系」と、それぞれの性格から戦国武将のルーツを愚推しましたが、この直感が当たっていたことについて今回は紹介します。

「FNS27時間テレビにほんの歴史」(9月9日)で、戦国時代の武将、信長、秀吉、家康の身長が紹介されていました。当時の残された衣装等いろいろな情報をもとに推定した結果のようですが、信長は長身長、秀吉は低身長、家康は中身長であった、ということでした。

一般に、それぞれの民族の身長は、モンゴル系は長身長、マレー系は低身長、アイヌ系は中身長ですので、この基準でテレビ報道を検討しますと、信長はモンゴル系、秀吉はマレー系、家康はアイヌ系になります。

ということは、拙ブログの愚推記事は、この場合身長だけですが、当たっていたことになります。拙ブログでは、信長の冷酷非情な性格と細い目の容貌から、そのルーツをモンゴル系と愚推したものですが、すばらしい直感だと我ながら感心しています(笑)。

なお、上と下の写真は、記事と関係ありませんが、自然との共生を目指している我が菜園の朝の様子です。まだ自生のアサガオが咲いています。

菜園の自生の花


日本史ランキング
[ 2017/09/25 07:09 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(2)
検索フォーム
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
「天皇家はアイヌ系」についてまとめています。詳細(目次)は下のとおりです。どうぞよろしく。

レインボー

Author:レインボー
現在は邪馬台国の真相についてまとめています。

天皇家はアイヌ系(目次) はじめに 1. 日本民族のルーツ 2. 古墳王家は何故滅びたのか 3 古墳王家はアイヌ・マレー系連合に滅ぼされた 4.日本書紀は創作 5.日本語と日本人宗教のルーツ 終わりに
リンク
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR