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アメリカ先住民族の「自然との共生思想」(アメリカ先住民族と日本人)

ヨモギの菜園での自生

前回(2日前)、日本人には「自然との共生思想」(縄文思想)があることを紹介しました。関連し、今回は、アメリカ先住民族の「自然との共生思想」について愚考します。

私は、日本有機農業研究会の会員ですが、その雑誌「土と健康」(2015年7月号 p2-3)に、「北米先住民に学んだこと」と題し、北米先住民スクワミッシュ族のチーフ(シアトル)が、1854年にアメリカ政府から土地を売れと迫られた時にした演説を、古屋和子氏が紹介しておりました。

まず、その記事(演説内容)を引用します。

「すべてこの地上にあるものは、わしらにとって神聖なものだ。松の葉の一本一本、岸辺の砂の一粒一粒、深い森に立ちこめる霧や、草原になびく草の葉。その葉裏に羽音をたてる虫の一匹一匹に至るまで神聖なものだ。わしの体の中を血が流れるように樹木の中を樹液が流れる。わしは大地の一部、大地はわし自身なのだ。

それなのに、白い人たちは、母なる大地を、父なる空を、まるで羊か、光るビーズ玉のように、売り買いしようとする。大地をむさぼりつくし、後には砂漠しか残さない。

大地は、私たちに属しているのではない。わしたちが、大地に属しているのだ。・・・・」(引用終了)

この演説から、アメリカ先住民族が「自然との共生」という日本人と同じ感情や考え方を持っていることを感じ取ることができます。

そして、拙ブログでは、こうした考え方は縄文人と同じですので、アメリカ先住民族は縄文人であると推察しているところです。

なお、上と下の写真は、我が菜園の様子で、自然との共生を目標に、自生のフキやミツハ、ヨモギなどを放置栽培で自由に育てている様子です。

ヨモギとフキ

また、下の写真は、その自生のヨモギを使って作ったアン入りヨモギモチです。たいへん美味しいと思います(笑)。

ヨモギまんじゅう

以上、アメリカ先住民族の「自然との共生思想」愚考でした。


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[ 2017/05/18 21:57 ] アメリカ先住民族と日本人 | TB(-) | CM(6)

世界の中の日本人と宗教(縄文思想と日本人)5.17

クコの新葉

「日本人の宗教観は奇妙か、それとも他国が奇妙なのか」という記事がダイヤモンドオンラインに出ておりました。

その記事では、日本人は万物のものに神が居ると感じていること、そして自然や人間との関係で和を重視していること、その結果、日本人の宗教は世界の3大宗教と異なること、などが紹介されていました。

関連し、今回は、拙ブログのテーマでもあります「縄文思想と日本人」の観点から、この「世界の中の日本人と宗教」について愚考します。

まず、その記事を、私なりにまとめますと、次のような感じです。

日本人の宗教は、世界の3大宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教とまったく異なります。その理由として、日本人の宗教は、縄文時代からある「自然との共生思想」と結びついており、その思想は、これら3大宗教よりもはるかに古くからあり、経典というものはないことが考えられます。

私の経験で恐縮ですが、宮崎県で働いていた時のことです。職場のある場所を通るとき、不思議な音が聞こえるという話がありました。私には聞こえなかったのですが、数名から同じような経験が語られました。そして、おはらい(お祓い)をすることになり、行事のため寄付を集めてお祓いをしたことがあります。

勤務時間中なのに神主さんを呼んでお祓いの行事をする、そして、誰も反対しない(笑)。そして、理屈ではない、何か分からないことがあり、恐れる。これが日本の宗教と思ったしだいです。

一方、その日本人の宗教儀式に、人が死んだときに行われる「通夜」という別れの儀式があります。アイヌの風俗習慣の研究をした哲学者の梅原猛は、その儀式は、死んだ人をあの世に送る儀式で、縄文時代からあることを指摘しています。

まとめますと、あの世観など日本人の宗教は縄文時代からあり、世界の3大宗教とルーツや内容がまったく異なるものと判断されます。そして、その基本は「自然との共生思想」であり、平和を愛する思想でもあると、私は思っているところです。

なお、上の写真は、不老長寿の木と言われている春のクコの様子で、新葉が出ています。

そして、下の写真は、そのクコの新葉を利用して最近作りましたクコの葉ご飯です。独特の薬草の様な香りが少しあり、旬の料理として美味しいと思います。

このように日本人は、旬野菜(野草)料理を楽しみ、「自然との共生」に喜びを感じきた民族と思われます。

クコの葉ご飯


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[ 2017/05/16 19:37 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(2)

自然との共生思想と私(縄文思想と日本人)

我が菜園春1

日本人の多くはアイヌを祖先に持つことを紹介してきました。今回は、そのアイヌの残した思想について愚考します。

アイヌの「自然との共生思想」(縄文思想)は有名ですが、この考えは日本人の思想として残っているのではないでしょうか。

例えば地鎮祭です。私もそうですが、それをしないと落ち着かないというか、建設中に自然災害がないように安全建設を祈ります。これは日本人が土地の神様の許しを得ようとする宗教観と思います。

また、食事前の挨拶に「いただきます」があります。これは、生き物を食べることに対し、生き物の神様の許しを得ようとする宗教観と言われますが、縄文時代に起源があると言われます。

さらには、日本人の死んだ後に行く「あの世」という「あの世観」は、アイヌの習慣を研究した梅原猛によれば、縄文時代からあり、関連し、通夜の儀式も縄文時代からあることを明らかにしております。

この「あの世観」ですが、行く先は草葉の陰や、近くの山や海で、仏教やキリスト教にある極楽浄土や天国ではありません。

以上のことから、アイヌの自然との共生思想(縄文思想)は、いろいろな形で、深層心理として日本人の中に残っていると思われます。

関連し、私ことで恐縮ですが、上と下の写真は、「自然との共生」を目指し、退職後の人生を楽しんでいる我が菜園の現在(春)の様子です。

ここでは、無農薬、かつ、無耕起、無堆肥、無畝立て、無ビニールマルチ、無石灰という農法、すなわち、できるだけ自然に優しい有機農法を実践しております。

そして、上の写真の手前の藪(木)は不老長寿の赤い実が生るというクコです(笑)。この木は、藪に生えているものの株分けをし、我が菜園に植えて、いろいろと利用しているものですが、拙ブログで時々紹介したいと思います。

我が菜園春2

我が菜園春3


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[ 2017/05/14 19:33 ] 縄文思想と日本人 | TB(-) | CM(2)

名古屋人のDNAルーツ愚考(日本人のルーツ)

名古屋人のルーツ


先月、「関西人のルーツ」 について愚考しましたところ、ブログ仲間から「名古屋は中間の中間」というコメントをいただきました。関連し、今回は名古屋人のDNAのルーツについて愚考します(笑)。

ブログ「日本古代史つれづれ」の記事を見ていましたところ、「日本人はどこからやってきたのか?(10)」  で名古屋人のDNAのデーター(by I. Nonaka, K. Miyaguchi and N. Takagi)が紹介されていました。

その記事のソースは、「Y-chromosomal Binary Haplogroups in the Japanese Population and their Relationship to 16 Y-STR Polymorphisms」と思われます。

そのデーターでは、名古屋人のアイヌ系(Y染色体ハプログループ D2)の割合は34%で、関西人の27%と関東人の48%の中間であることが示されていました。

拙ブログ記事では、日本に最初に住んでいたのがアイヌ系(縄文人)、そして、そこに南方系のマレー系が入りこみ、新縄文人となり、さらに、そこへ北方系のツングース系(モンゴル系と中国系の混合民族=韓国系)が朝鮮半島から西側から入り込んで日本人ができあがったことを紹介してきました。

これらのことから推察しますと、名古屋人のアイヌ系の割合が、関西人と関東人の中間ということは、地理的状況からすれば当然のことかもしれません。すなわち、ツングース系の民族が西側から移住してきて、その結果、アイヌ系の割合が、西側から薄まっていき、名古屋は関西と関東の中間になったと推察されます。

そして、その結果、関西ではツングース系(モンゴル系+中国系)が多く、関東ではアイヌ系が多くなったことから推察しますと、名古屋は中間の中間というのは、文化面だけでなく、日本人のDNAからも指摘できることになります。この関係を上の地図に示しました。

以上、名古屋人のDNAルーツ愚考でした。


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[ 2017/05/12 20:01 ] 日本人のルーツ | TB(-) | CM(4)

倭人のルーツと日本人起源2系統論の整理(南方系と日本人)

中国周辺の倭人の分布


「弥生時代には、2系統の民族が日本に移住してきたこと」が、知られております。その2系統とは、小柄な南方系(倭人)と長身の北方系(ツングース系)のことです。

今まで北方系のツングースはモンゴル系と中国系の混血であることを紹介してきましたが、人骨遺跡調査によりますと、彼らは長身の者が多く、小柄な南方系との違いが分かるようです。

関連し、今回は、小柄な南方系(倭人)のルーツについて愚考します。

倭人については、中国の古書に現れる日本人の言い方です。有名な魏志倭人伝にも登場します。倭人とは、小さい人の意味で、日本人の蔑称とも言われております。そして、倭人は、日本(九州)だけでなく、台湾、沖縄などにも住んで居たと中国の古書では記されています。

関連し、私は、マレーシアとフイリピンに居住したことがありますが、その国の人たちには小柄な人たちが多い感じがしました。おそらく、倭人というのは、その人たちを言うのであろうと思います。

関連し拙ブログでは、マレー系(O1b)の人々が、1万年前頃から、その航海術を使い、中国南部から朝鮮半島や日本に移住し、さらには江南地方から稲(陸稲)を日本に導入したと推察しています。

また、台湾の先住民族の多くはフイリピン系(O1a)で、彼らが沖縄まで移住していたことも分かっています。

そこで、まとめますと、倭人の主体は、日本(北九州)と朝鮮半島南部ではマレー系、台湾と沖縄ではフイリピン系であったと判断されます。これらの関係を上の地図(推定)に示しました。

そして、弥生時代に長身の北方系(ツングース系)と小柄な倭人(マレー系)の2系統の民族が日本にきた、という報告は、拙ブログの主張とほぼ一致していると思われます。

なお拙ブログでは、南方系倭人(マレー系)の初期到来は1万年前頃までさかのぼる方が、その後の縄文時代の海洋文化や稲栽培開始時期を説明する上で分りやすいと判断しております。

関連し、最近のウエブ情報では、青松光晴氏が「日本人は、どこからやってきたのか?(21) ~ 「倭人」は東アジアの交易を担っていた!?」 で、「倭人」が周王朝(紀元前1046年頃~紀元前256年)に「暢草」(ちょうそう=ウコン)を朝貢したことと関連し、以下の記事を発表しております。この内容も、拙ブログの主張とほぼ一致していると思われます。

前に、「倭人」について、弥生時代に日本列島にやってきた「渡来系弥生人」と定義しました。「縄文人」と区別するために便宜上、そのように定義したわけですが、もう少し広くとらえて、”「倭人」とは、中国南部から揚子江下流域、台湾、琉球諸島にかけて住んでいた「海洋民族」の総称である。”としてもいいかもしれません。

そしてもしかすると、「倭人」は、当時の日本列島にも九州をはじめとした地域に住んでいたかもしれません。何せ、当時の日本の人々は、海洋民族が多かったわけですから・・・。

となると、”「倭人」の住んでいた領域は、私たちの考えるよりはるかに広大なエリアであった”ということになります。その「倭人」が、中国をはじめとした東アジア圏の海洋交易を担っていた可能性があります。なんとも壮大な話になりますね。(引用終了)



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[ 2017/05/10 20:48 ] 南方系と日本人 | TB(-) | CM(2)
日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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