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東北の伊達男のルーツ(アイヌ系と日本人)

平泉藤原三代の元祖、藤原清衡(初代)Wikipedia


東北の伊達男のルーツ(アイヌ系と日本人)

前回(2日前)、坂東武者のルーツについて愚推しました。関連し、今回は、東北の伊達(だて)男、そのルーツについて愚推します(笑)。

平安時代の坂東武者の時代、東北では、秋田県や岩手県で土地争いが起き、いわゆる平泉の藤原時代が出現しますが、この時の主役は東北の武者でした。

関連し、上の肖像画は、平泉藤原三代の元祖、藤原清衡(初代)です。こちらの顔立ちも、鼻が高く二重まぶた、すなわちアイヌ系の容貌です。

また、戦国時代となると、東北は伊達正宗の時代、伊達男なんて言葉が出た時代です。東北では、伊達男とは美男子(かっこいい男)の意味です。関連し、下の肖像画は、「伊達政宗公」です。美男子です(笑)。

この画像を前回(2日前)紹介の「日本の版画家・木彫作家・アイヌ民族運動家・ロックシンガーとして知られている結城 幸司氏」と比べると、そっくりです(笑)。

また、関連し、アイヌ系の割合は現在でも関東では47%であること(Nonakaら 2007)を前回紹介しましたが、そのアイヌ系の割合は東北ではもっと高かったのではないかと思います。

関連し、私は東北の田舎(福島県)の生まれですが、私の周囲には女の人を含めアイヌの人たちに似た顔立ちの人が多数いました。伊達男も多かったです(笑)。個人的なことですが、私の父もアイヌ系と思われます(笑)。

すなわち、東北の武者も、坂東武者と同じようにアイヌ系であったことが予想されます。

伊達政宗肖像画Wikipedia


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[ 2017/11/09 07:59 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(4)

坂東武者のルーツ愚考(アイヌ系と日本人)

平将門肖像画(Wikipedia)


坂東武者のルーツ愚考(アイヌ系と日本人)

平安時代のことと思いますが、「アズマ男にキョウ女」という言葉があります。今回は、このアズマ男(坂東武者)のルーツについて、日本人のルーツと関連し愚推します(笑)。

まず、この「アズマ男にキョウ女」の意味ですが、時は平安時代中期、東国のアズマ男と京(都)の女がもてた、あるいは相性がいい、という意味かと思います(笑)。そして、この「アズマ男」は、特に関東辺りの男を指すようです。

平安時代中期となりますと、武士が水田を開発し、その水田を国司とかの貴族に横取りされないように武力で守る時代、いわゆる武士の登場の時代となりますが、この時代は、坂東武者、アズマ男の人気が出たときと思われます。

関連し、関東で、939年に京の都に従わない平将門の乱が起きますが、主役は坂東武者でした。上の肖像画は、その「坂東武者の平将門」です。

また、関連し、下の肖像画は、「坂東武者で有名な熊谷次郎直実」です。熊谷次郎直実は源平合戦で名を上げた武将です。

熊谷次郎直実肖像画(Wikipedia)

そこで、これら坂東武者のルーツですが、まず、奈良時代、東北の蝦夷と大和政権との戦いがありましたが、このとき大和政権側の兵士として関東の蝦夷すなわちアイヌ系の人達が使われたことが知られております。

また、「坂東武者で有名な熊谷次郎直実」の肖像画等から推察しますと、ヒゲは濃く鼻は高く、男らしい顔立ちです。すなわち、彼らがアイヌ系の武者だったことが伺えます。

さらに、Nonaka, Minagaguchi and Takezaki (2007)のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)によりますと、現在のアイヌ系(ハプログループD)の割合は、関東では47%、一方、関西では27%、とあります。

すなわち、関東では現代でも半数近い人がアイヌ系です。こうしたDNAのデータ、そして当時の容貌から推察しますと、当時、坂東武者、あるいはアズマ男と言われた人たちがアイヌ系であったことが予想されます。

そこで、板東武者のアイヌらしい容貌ですが、「日本の版画家・木彫作家・アイヌ民族運動家・ロックシンガーとして知られている結城 幸司氏」がいいかと思います。ルーツはアイヌということですが、その凜々しい顔立ち、まさに板東武者のルーツでないかと思います。


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[ 2017/11/07 12:33 ] アイヌ系と日本人 | TB(-) | CM(0)

古代にツングース系民族が来た人数は年平均100人程度か(北方系と日本人)

古代におけるツングース系民族の日本移住


古代にツングース系民族が来た人数は年平均100人程度か(北方系と日本人)

前回(2日前)、ツングース系民族が、地球寒冷化に伴い4000年前頃から朝鮮半島から日本に来て人口の半分ぐらい占めるようになったことを、Y染色体ハプログループ解析から推定しましたが、この関係を上の地図に示しました。

今回は、いつ頃、どのくらいのツングース系民族が日本にきたのか愚考します。

古代の人口を遺跡から推測した小山氏の資料(小山修三著 中公新書 1984)によりますと、2000年前頃の弥生時代初期の日本の人口は約60万人です。ここから推定しますとツングース系の人数は、その割合は全人口の半分ですので、30万人と推定されます。

そこで、寒冷化が始まった4000年前から寒冷化が終わった2000前に新天地を求めて大半の人が来たとすると、渡来人の年間数を単純計算しますと、30万人/2000年で150人/年になります。この時期、平均すると1年当たり150人ぐらい日本に移動してきたと推定されます。この数字には移住後の自然増は含まれていませんので、それを考慮すると実際に移動してきたのは年間100人前後と予想されます。

関連し、ツングース系民族が朝鮮半島南部から移入してきたことから推察しますと、移入地域は、北陸、近畿、中国、四国、九州が考えられます。そこで、上記の小山氏の資料を詳しく見ますと、4000年前(BC2000年)と3000年前(BC1000)を比較しますと、2回の冷害の影響を受け、いずれの地域も人口が減っておりますが、九州は減り方が少ないことが分かります(下図参照)。すなわち、ツングース系民族はまず九州を中心に移入してきた可能性があります。

古代における九州など各地域の人口変動


一方、その後の3000年前(BC1000年)と2000年前(0年)の比較ですが、冷害が無かったためか、いずれの地域も人口が増えています。なかでも、九州と近畿が増えていますが、これは、ツングース系民族は、まず九州に移入し、その後、近畿に移入したためと推察されます。

さらに、この九州と近畿の著しい人口の増加は、ツングース系民族が鉄器を持ち込み食料増産に貢献したためと推察されます。稲作には、耕起、除草、水路開発などが求められますが、鉄器なしにはこれらの作業は簡単にはできません。鉄器導入は2500年前頃ですので、3000年前頃から移入してきたツングース系民族が、このために重要な役割をしたと推察されます。

まとめますと、ツングース系民族が年間に平均100人程度、継続的に来たという推定から考えますと、日本社会への文化的影響は小さかったことが予想されます。例えば言葉です。日本語に対するツングース系言語の影響は僅かしか認められません。日本の言語はアイヌ系言語が基層となり確立してきたと言われますが、それを変えるほどの影響は無かったことになります。

しかし、2500年前からの移入では、鉄器導入に関与し、農業とくに稲作の発展に寄与したと思われます。なお、稲作導入に関しては、先に朝鮮半島と九州に移入してきたマレー系民族が主として関与したと、拙ブログでは指摘しております。


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[ 2017/11/05 15:05 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(2)

ツングース系の人達は西から少しずつ東へ広がった(北方系と日本人)

韓国、関西、関東のツングース系割合


ツングース系の人達は西から少しずつ東へ広がった(北方系と日本人)

前回(2日前)、モンゴル系と中国系の混合混血民族のツングース系民族が寒冷期の4000年前頃から少しずつ日本に移住し、その割合が日本人の半分になったことを紹介しました。今回は、この関係を、最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)から愚考します。

Kimら(2011)は、韓国のモンゴル系(ハプログループC)は13%、中国系(ハプログループO2)は44%としております(下表参照)。一方、Nonakaら(2007)は、関西はモンゴル系が7%、中国系24%、そして、関東はモンゴル系が4%、中国系15%、としております。

これらのことは、ツングース系民族のベースのモンゴル系も中国系も、朝鮮半島から西日本(関西)に移住し、その後、関東にも少しずつ移住してきたことを示唆します。この関係を上の図に示しました。

弥生遺跡では、北九州を中心に高身長の遺体が散見されますが、それは、高身長のツングース系が日本に移住してきた証拠と思われます。そして、拙ブログでは、ツングース系民族の日本移住は2000年前の弥生後期にほぼ終わったと推測しております。その根拠は次のとおりです。

1. 弥生後期には鉄器が導入され、稲作の食料生産が朝鮮半島でも安定し、食料問題が無くなった。
2. 4200年前~4000年前と3500年前~3200年前のような深刻な寒冷期は、その後起こっていない。
3. 2000年前頃から朝鮮半島は国家の建設が進み、その後の歴史資料に、朝鮮半島から日本への極端な民族移住の記録はない。

まとめますと、ツングース系民族の日本への移住は2000年前(弥生時代後期)に終わり、一方、日本に移住した人々は、関西に居住し日本人と混血し、その後少しずつ東方面(関東)に移住し、現在の日本の状態ができあがった、と思われます。

韓国、関西、関東の民族のルーツ割合


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[ 2017/11/04 08:06 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(0)

ツングース系の人達は日本人の半分になった(北方系と日本人)

ツングースの発生と日本への道


ツングース系の人達は日本人の半分になった(北方系と日本人)

秋も深まる11月となり、肌寒くなってきたこの頃です。

さて、拙ブログでは、ツングース系民族は満州辺りで発生したモンゴル系と中国系の混血民族であること、そして、朝鮮民族は、その北方由来のツングース系民族70%と南部由来のマレー系民族30%の混血であり、その関係から言語はツングース系の言語であり、ツングース系民族に分類されることも指摘してきました。

さらに、地球の寒冷化に伴い、ツングース系民族は4000年前頃から南下し、朝鮮半島を経て日本にもくるようになったことを指摘しております。

今回は、どのくらいの人達がきたのか、ハプログループの解析から推察したことについて紹介します。

最近のDNA研究(Y染色体ハプログループ分類)で、Hammerら(2005)は、中国系(ハプログループ O2)の人達が20%も日本に居ることを報告しております。一方、ツングース系と言われる韓国ですが、Kimら(2011)によれば、中国系は日本の2倍の44%も居ます。この数値が4000年前も同じであったかは定かでありませんが、ツングース系の民族が朝鮮半島にその頃から居たことが知られていますので、似たような割合かと思われます。

そこで、当時、日本では中国系は0%であったと仮定し、40%の中国系を含むツングース系民族が朝鮮半島から日本にきて、その半分の20%に日本で薄まったと仮定しますと、ツングースの人達は、当時の日本人の半分に相当する人たちが来たことになります。

また、同じように、ツングース系の中のモンゴル系のハプログループ(C)について検討しますと、韓国でモンゴル系の割合は13%(Kimら 2011)です。そこで同じく、そのモンゴル系も日本で半分に薄まったとすると、日本でのその割合は約7%になります。この数値は、現在の日本のモンゴル系は9%(Hammerら 2005)ですので、かなり近い数字になります。

以上のことから、日本にツングース系の人達が、4000年前頃から移動してきているうちに、日本人口の半分を占めるようになった、と推察することができます。

関連し、ウエブ検索しますと、縄文時代から弥生時代にかけ渡来人が多数きているという専門家の報告は多数ありますので、ツングースの人達が日本人の半分を占めたという拙ブログの仮説は妥当かもしれません。

関連し、ツングース系民族の日本への移住経路について上の地図に示しました。また、民族別の人口の割合変化をHammerら(2005)とKimら(2011)の報告を基に下表に示しました。

それぞれの時代の民族別人口比

さらに、関連し、日本に、アイヌ系、マレー系、ツングース系が移住してきた時代の特徴を下表にまとめました。すなわち、日本は、当初アイヌ系が住み着き人口の90%を占め、ついでマレー系が住み着き人口の30%を占め、最後にツングース系がきて人口の半分(50%:中国系20%+モンゴル系10%+韓国由来マレー系15%)を占め、現在に至ったと推察されます。

それぞれの時代の民族構成特徴

DNA研究、Y染色体ハプログループ解析とは?

参考までに、Y染色体ハプログループ解析について、初めての人のために紹介しますと、次のような感じです。

男性か女性を決める染色体にXとYがあります。XYが男性、XXが女性になるわけですが、Y染色体は男性にだけあり、父親から男の子供に引き継がれることになりますので、そのY染色体をたどると父親のルーツが分かることになります。

このY染色体は、巨大なDNA配列の塊からできておりますのでそのDNAの配列から種類を細かく分類でき、人類の祖先のDNAを分類するのに最適と言われております。

たとえば、Y染色体ハプログループがD型ですと、それはアイヌに多い型ですので、その人の男親のルーツはアイヌ系となります。そして、このD型という分類は、10万年経過しても、マイナー変化はありますが、D型のままで変わることはありません。


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[ 2017/11/02 07:57 ] 北方系と日本人 | TB(-) | CM(6)
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日本人の縄文思想と稲作のルーツ
日本人のDNAと縄文思想と稲作のルーツについて海外経験と最新情報を元にユーモアをまじえて迫ります

レインボー

Author:レインボー

私は稲仕事の関係からいくつかのアフリカとアジアの国々で暮らし、日本人のルーツはアフリカまで辿れること、その思想は自然との共生思想(縄文思想)であること、稲はマレー系の人々が持ち込んだことを実感しました。その経験をベースに、日本人のDNAと稲作のルーツに迫ります。なお、ペンネームは、「虹を見る歴史思考」という拙ブログの手法と関連し「レインボー」とします。どうぞよろしく。
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